田中成道の日記

田中成道の日々の日記です。

YOUNG SEIDO(1)〜僕は音楽をします!〜

今日からちょくちょく過去の話も書きます。




オタクといわれた中学時代





中学生の時、授業はほとんど寝ていた。
先生が公認してしまうほどに。
おかげで暗記系の授業はボロボロ(歴史3点とかでした)
でも理数の成績が良かったのと勉強とは違う分野のおかげで
とくに先生からは注意されることも無く過ごせた。


まずなんで寝不足だったのかというと
僕は理科部という部に所属していて毎晩家でプログラムを組んでいたからである。
さらにまず理科部ってところから説明しないといけないのですが
実際には科学的な実験や学校周辺の植物や水質の調査などがメインの活動でありました。そのあいまにコンピュータ室で「N88日本語BASIC」という言語でプログラミングをしていたのです。
僕があまりにもプログラムにはまりすぎたせいか、学校で唯一プログラムを一から作れる存在となりました(先生はプログラムを組めない)。なので自分のクラスのコンピュータの授業のアシスタントや授業の課題を作ったりしていたおかげか主にコンピュータの活動を許されるようになったのだと思います。
僕の家にはコンピュータは無かったので家のワープロ(笑)で頭の中で作ったプログラムをタイプして印刷し、次の日学校の部活で実際に入力する、を繰り返していました。そのせいでいつも眠たかった。


そんな僕にも他に楽しみもありました。
イラストを描くこと。それもファンタジーイラストを描くことでした。
描いたイラストは学校の仲間達と交換したりしていました。(ちなみに僕は女性や萌画は描けませんでした)


当時、マイコンBASICマガジンという
Basicのプログラムやイラストを投稿する雑誌があったので
僕はそこにイラストを投稿していました。
一年くらいは全く載りませんでしたが中学二年になったくらいから
ほぼ毎月掲載してもらえるようになりました。(ちなみに20歳の時に保管した雑誌を見返して、イラストの寒さとペンネームのナンセンスさに雑誌すべて焼却炉で燃やしてしまいました。)


女の子達には気持ち悪がられながらも卒業までにRPGを1本完成させるぞ!と
息巻いていたヤングな僕は大きな壁にぶち当たってました。

音楽(BGM)が作れなかったのです。

昔から音痴でリズム感が無く一番苦手な音楽を僕はいつも敬遠していました。(ちなみにスポーツも全くだめでした、ハハハ)


そんな中学3年生のある日、僕の部屋にレコードプレイヤーがずっとあった事に気付く。

「ん?」

動くのかな?

と、興味本意で一つのスイッチを押した。




これだけです。
スイッチを一つ押しただけで僕の人生が変わります。
このスイッチを押さなければ音楽をしていなかったのです。
「やる気スイッチ」(嘘)。

プレイヤーはあらかじめセットしてあったレコードを再生し始めた。

母親の持っていたサイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」でした。

「!!!?」

感動というのでしょうか。
出会いともいえる瞬間でした。
この時の心の事を文章で表すことが出来ません。

気がつくとレコードに合わせて歌ってました。
「Hey〜This Is Love Song〜♪」
↑誤
*正 Hey,Mrs Robinson

毎晩レコードを聴いてました。
でもこの気持ちはなんなんだろう?
とそわそわ、
僕は何をしたらいいんだと
もんもんしていました(ちなみに来年受験ですよ)。

ある日となりの部屋に母親のガットギターがある事に気付く
それをポロローンと弾いてみる。
そんな15の夜でした(カメラ目線)。



皆さん大丈夫ですか?
しんどくないですか?
疲れたらお風呂に入りましょう。

そんなこんなで学校からの推薦もあって関西電○高等学部を受験しました。
受験では得意な理数系の問題が出ると聞いていたので毎日ギターを弾いて過ごしていました(この緊張感の無さは今の僕と変わらないと思います)。
おかげで難なく合格。

学校は全寮制で山一つ分の敷地に寮、学校、グランドなどが設置されていて
山からは脱走出来ないようになっていた。

寮は治安が悪くCDプレイヤーや楽器など高価なものは盗まれるらしく鎖と鍵が必須であった。
入学祝いで親に買ってもらったフォークギターを僕は抱えて寝てました。

音楽をしているという事で二年生の一番悪い先輩(BOOWYが好きでエレキギターを弾く)に気にいられ、良く部屋に呼んでもらった(一緒に一年で一番のワルも一緒に呼ばれていたので気まずかった)。

入学して数日後、一年生による慰安旅行があった。
伊勢だったと思います。

僕は盗まれないようにギターとともに移動。
一年生一同旅館に宿泊。
その夜に宴会の様な?ものがあった。
グループに分かれて宴会場のステージでなにかしなければいけなかった。

僕のグループは僕のギターと歌に合わせて周りのみんなが変な踊りをするというもの。


なんと大盛況。
僕はへたくそながら「コンドルは飛んでいく」「僕とフリオと校庭で」などをやったのだけど
ギターが弾けるというだけでみんなテンションがあがってるようです。
僕の体に稲妻がおちるような感覚があった。
客席の同級生百人くらいからエネルギーが飛んできて僕の体に集まってるようなそんな感覚。

その夜僕はまったく眠れず、
窓から向かいのホテルのエレベーターが上へ上がってまた下りていくのを
ずっと朝まで見ていました。
頭には何の言葉も浮かんでないのですが
旅行から寮にバスで戻ったあとすぐに職員室を探していました(敷地が広すぎてわからない)。
学校を辞めるという言葉は無かったのですが
音楽でやっていきたい、という思いしかなかったようです。

担任に話したら飛び上がってびっくりし、
僕の親に電話をし始めた。
僕はそれが不思議だった。
なぜなら入学2日目ですでに一人退学者がいたからだ。
簡単に辞めれるもんだと思っていた。

親と一緒に話し合いをしようという事になり、
僕は脱走しないように担任と同じ部屋に寝ることに。
その時に教えてくれたのですがどうやら僕は成績二位で入学していたらしい。
自慢出来そうな話ではありますが、それよりも僕がこんな成績で入学出来る学校のレベルもすごい(そりゃ治安も悪いわ)…複雑な夜でした。

そして親が来て説得できず、とりあえず僕は家に帰って考えてみてくれとの事で
家に帰る→中学時代お世話になった先生が家に来て泣かれたりする→学校のギター部の顧問の先生(世界で二位の賞を取ったことがあるというプロギタリスト)が一週間後に学校に来るのでその先生に音楽を聞いてもらってそれで学校をやめるか決めてはどうか?
という事で再び学校へ。
会議室のようなところでお粗末な演奏をした。
たぶん才能が無いような事を言われていたらしい(母親談)。
僕の記憶では褒められているように解釈してしまっていた。
おかげで学校を辞めてしまった。


学校を辞めたので地元で働くことになりました。地元のホームセンターで働くようになり

普段僕はこんな格好をしていたと思います。
酷い格好ですが続きはまた明日。