田中成道の日記

田中成道の日々の日記です。

YOUNG SEIDO(6) 〜保険証が無い〜

みなさんこんにちは。
僕は16歳の田中成道。
石垣島でタバコの農業の手伝いをしています。
お世話になってるイツオさん(36歳)には
反抗期の僕はよくふてくされたり色々迷惑をかけています。
若いから自分の過ちに気付かない事のほうが多いかったと思います。
感謝。


農業を手伝い始めて2ヶ月、色々な事があったな…

原付しか乗った事の無い僕にイツオさんはトラクターの運転を教え、
イツオさんの兄の畑までトラクターを僕に一人で運転させた。
まっすぐ走れずに歩道との縁石を破壊しながら走った。
内緒です。


畑と畑をつなぐ農道は未開拓なジャングルが多い。
ある日トラックを走ってると道端に丸太の様なものが道をふさいでいた。
近づくと大蛇!!
イツオさんは普通に近づいて
ヒョイっ
と方に担ぎ茂みに置いた。
昔ペットで飼われていたボアだとかが捨てられて自然で成長したものだと言っていました。
あと首の穴が閉まるカメだとかドでかいカタツムリとかも普通にいました。




沖縄の天候は変わりやすい。
雨、
というよりはスコールがやってくるというイメージ。
たまに軽トラックの走行スピードと同じスピードで追ってくる事もあった。



一度だけ虫が大量に発生して空を覆った時もありました。
イナゴでは無い羽根のある虫で
工場に非難して虫達が通り過ぎるのをひたすら待っていました。
工場の中は虫に光をさえぎられて真っ暗でした。






農業も佳境に入り
収穫の時期がやってきました。


収穫には近所のママさん達(イツオさんがバレーのコーチをしているママさんバレーの方々)も数人来て大勢で行います。


この頃には僕は大分疲れが出てきていました。
それにともない、タバコの量も増え、お金が無いので乾燥したタバコの葉を丸めてそのまま吸っていた。
寝ている場所もタバコの乾燥場を寝床にしていたため(しかも布団の代わりに寝袋)体には非常に悪かったらしい。


ある朝僕は呼吸がおかしい事に気付いた。
息を吸いにくいし吐きにくい。
でも今日も収穫なので休むわけにもいかず畑へ。


日差しの暑さが感覚をおかしくしてるのだろうか…

僕はもうろうとしてわけが分からなくなった…
イツオさんにも説明が出来ない。
まるでリアリティの無い「しんどい」という言葉しか浮かばない自分に腹が立つ。
案の定
伝わらない。
少し休んでどうにか治るものではない状態だと確信は出来ている。



死ぬ。
もう駄目だ。
息が吸えない…
僕は今から救急車が来たとしても
もう間に合わないと思っていた。
病院は町まで行かないと無い。


僕は工場に運ばれた。
横になると苦しいので上半身を起こして安静にしていた。
さっきより少しましだ。
しばらくすると売店のお姉さんが来て僕を町の病院まで運んでくれた。



点滴…
肺炎になる寸前でした。
ゼンソクの発作が出たようです。
僕は保険証を持っていなかったので自費なのですが
お姉さんが払ってくれたようです。
色々とありがとうございます。
しばらく久しぶりのベットで休んだ。



帰り道。


売店のお姉さんは昔合唱部だったそうな。運転しながら鼻歌を歌っていて
何の曲かは知らないのだけれど
とても心地よい。
ああ
音楽っていいなあ
音楽がしたい…
という思いを久しぶりに思い出した。





しばらく農業をお休みする事になりました。
タバコを吸うのもお酒を飲むのもしばらく禁止、
お風呂もちゃんと入る事に。
お風呂(というか温シャワーしかないが)はイツオさんの実家にあります。
イツオさんの実家は玉取牧場の向かい。宮城さんと初めて出会ったあの家がイツオさんの実家である。
お風呂は風呂オケはどの家にも基本無いので洗濯用の大きな桶を借りてお湯を貯めて入った。
イツオさんのお父さんと散歩行ったり色々話しをしたり
ゆっくりとした時間を過ごしました。




イツオさんのお父さんは最高で両手に8匹のハブを捕まえた事があるそうです。
全部素手で。↑こういう事ですね。

ウミヘビの捕まえ方を教えてもらったりもした。
岩場の穴に住んでいるウミヘビは
タバコの煙でおびき出して捕まえるそうです。


イツオさんのお父さんはタバコの農業は僕の体質には向かないのではないか?
気遣ってくれた。本当にその通りであります。



収穫も大分落ち着いてきて
タバコの葉をジェイ○ィーに出荷し始める。
少しお金が入って来ているのかイツオさんと町のスナックに行ったりした。
イツオさんはスナックのカラオケで「とんぼ」を歌い、僕は「巡恋歌」を歌い
酔って騒ぎすぎて追い出されるように店を出る。
そのまま酔っ払い運転で朝方工場へ帰って眠る。
この時期は良く遊ばせていただきました。

一番思い出深いのは
水晶の取れる丘。
海沿いにあるその丘では水晶が取れると教えてくれた。
転がっている石を割ると水晶。
嘘みたいな話。(成人してからこの場所に一度来て水晶を確認した。やはり存在していた)



この時期売店の前での宴でギターで歌ったり、
三味線で歌ったりしていた。
その時に知り合ったミヤザト(仮)という男に
「町に行けばライブハウスがあるよ、そこにいけばいいのに」
と言われる。


もうタバコの仕事も終わる。
仕事を探さないと。

僕は町に出て仕事を探す。職安では全く仕事は見つからなかったが
道端で偶然出会った人の所で働ける事になった。住む所も決まった。
ただ、すむためのお金が無かったので実家に電話してお金を送ってほしいとお願いした。




工場を出る前夜。
親から届いているはずであろうお金が無い。
イツオさんの実家に届くようになっていたのだがイツオさんがそれを持ってどこかに行っているようだ。
僕と売店のお姉さんでイツオさんの帰りを工場で待っていた。
イツオさんが帰ってきた。
僕の前のテーブルに
封筒を
ポンっ
て置いた。
それは二つあってひとつは親から来たお金。
もうひとつにも数万円入っていた。
「現金集めるのに苦労したさー」
とイツオさんは言った。



僕はこういった時に言葉がわからず
有難う御座います、とだけ言ったら
わー!
と乾燥場の寝室に入った。

そこでお礼の文章を
ノートに色々書いてみたのですが
言葉の表現が苦手で(それは今もですが)
結局すべて消した。

気がつくと朝になっていて
お姉さんはソファーで、イツオさんは軽トラックの荷台で寝ていた。


起きたお姉さんはイツオさんを起こさないように僕を自分の車で売店まで運んでくれた。
そこはバス停でした。
お姉さんは僕の大好きなソーセージを僕に持たしてくれた。




僕はぼんやりとですが
この農業の3ケ月間の世界が幻で
みんな架空の人物だったのではないかという妄想をしていた。
僕がバスに乗って町に行ったら
もう二度とここには戻れない、
もしくはここの人たちにはもう会えないという
感覚があった。
(実際に成人してからこの売店を訪れたが知り合いに一人も会わなかった)
そして後戻り出来ないこれからの人生に不安を感じているのでした。




次回から町編になります。

そういえば沖縄にいるあいだ僕は保険証無しで過ごした。大変でした。
今の僕も保険証無いけどね…(ちゃんちゃん)