田中成道の日記

田中成道の日々の日記です。

YOUNG SEIDO(5) 〜僕は日本人です〜

1993年5月、僕はまだ16歳です。
18年後の僕はちゃんと働いているでしょうか?

僕は元気です。
病的に色白だった僕も赤黒く焼けて腕や肩は火傷で水ぶくれが出来ています。
この時期は主に農薬や水を撒いたりします。
農薬の散布には2種類ありまして、
紙袋に入った粒子状の農薬を手で撒く方法と、
軽トラックの後ろに積んだタンクに水と液状の農薬を入れて混ぜ
長いホースで散布していく方法があります。
手で散布する時は一人だし時間が相当かかるので
サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」を
エンドレスで歌っていました。(雰囲気)


液状の農薬を作る時は
山と山の間にある給水場にやってきて
大きなホースから軽トラックの後ろに積んであるタンクに水を放水する。


工場にはお風呂どころかシャワーも無いので
農薬を体に浴びた日などはシャワー代わりに給水場の水をシャワー代わりに使うのですが
勢い強いのと冷たさで罰ゲームのようでありました。


さらに休憩時間に海に入ってから仕事に戻ろうしても
この給水場に連れて行かれ、
水で体を洗わされる。


海水を浴びた状態で日に当たるのは自殺行為だそうで
地元の人でもそれはしないとの事です。

農業は思えば危険がいっぱいでした。



ハブ。
タバコの葉の上にたまにいます。
イツオさんはいつでも草履で畑に入り、
ハブがいたら手で掴んで麻袋にぶち込んで保健所に売りに行きます。


謎の生物。ヒル?なめくじ?
タバコの葉の上にいます。
ぺったんこで表面は黒くて硬く、裏は吸盤か口のよう。
ほとんど動かない。


ゴキブリ。
工場の寝室に現れるゴキブリは僕の足をかじって逃げた。
あわてて明かりをつけて一瞬みたゴキブリの姿、紋章のような模様があって
キングな感じ。

あとヤモリ。
見た目は半透明?夜に鳴き声をあげていたと思います。こいつも侵入してきて足をかじってきました。




安心して過ごせる場所は少なかった。
工場にはトイレも無かったので用を足すのは外。
夜はライトを片手にハブに注意しながら用を足さなければいけません(蚊なんて気にしてられません)。



ご飯はイツオさんが作ってくれていました。
冷蔵庫にある野菜などで炒め物や味噌汁がほとんどでした。
ニンジンの代わりに青いパパイヤ、ワカメの代わりにアオサ、
大根の代わりに冬瓜、肉は主にポーク、てな感じでした。

夕方、コウモリ達が空を飛んで巣に戻って行きだすと
国道沿いにある売店に向かう。
売店の表にあるテーブルで酒を飲んだり食べたりするのです。
そこには仕事や農業後の地元の方が集まったりして
ワイワイ話し合ったりしている。

新参者の僕が話題になる事はしばしばで
みんな優しくてくれてよく僕におごってくれたりした。



暗くなってくるとイツオさんと工場に戻る。
オンボロのソファーとテーブルでくつろいでNHKしか写らないテレビを見る。
そうこうしていると誰かが工場にお酒を持って訪れる。
イツオさんという人はこの周辺の人に慕われているようで来客が多い。
そこからまたお酒を飲みながら話をしたりするのですが
この時期は僕の話題ともう一つの話題で持ちきりでした。
その話題とは
この時期、沖縄に中国からの不法入国者が絶えなかったそうです。





僕がタバコ農場に来る前夜にも二隻のボートが近所の浜辺に到着しており、
乗ってきた者の行方はわからないそうだ。
僕は正直あんまり興味もなく、ただ聞いてるだけでした。




数日後、僕は農薬を散布していた。
液状の農薬なので僕はホースで散布しながら畑を進んでいく。
巻いてあるホースが伸びていくと相当な重さになるので二人一組で
一人はホースを伸ばしていく。
急にホースが伸びなくなった。
振り返ると警察官が二人いて「おいで、おいで」
をしている。




訳がわからず立ち止まっていると
二人の警察官は畑の中へやってきた。
「日本語は喋れるかな?」
と聞かれて
最初は質問の意味が分からず戸惑ったが
すぐに意味を理解して
「僕は日本人です」
と、応えた。
その後も少し質問されたが警察官は納得してまもなく帰って行った。





どうやら「イツオさんの所で中国人が働いている」という噂が流れたらしいです。
すぐに誤解は解け、今度は
「イツオさんの所の若者、中国人と間違えられて捕まえられそうになったらしいww」
と噂が立ち
またしばらく工場に来客が尽きなかった。




陽気な人ばかりで楽しかった。
ただ、同世代の友人がいなかったので僕は寂しかった。



休日、僕は宮城さんにビーチに連れて行ってもらう。
宮城さんは「また迎えに来るからよ」と、どこかへ行ってしまう。




ビーチは僕が普段海水浴で使ってる海とは違い
観光客であふれていた。
若者、ギャル、ナイチャー(内地から来た人)!
僕はドキドキしていた。


だれかと喋りたい。


でも当時内気だった僕が、見知らぬ人間に話しかけれるわけでもなく途方に暮れる。
その時、関西弁が耳に入った。
『関西の人がいる!』
僕は声のほうに行き
声をかけてしまった。
「僕も関西から来ました。」
相手はポカーンとしていた

「あら、そうなの」
と返してきた。

オカマさんでした。

僕もびっくりして話も続かず、オカマさんは海辺でビーチバレーをする仲間の所へ帰って行った。
「キャサリンー行くわよー!」
「きゃー!やめてよ!サンディー!」
オカマバーの人たちでしたか…




そしてオカマさんたちのヒソヒソ話が聞こえてきた(声大きい)。
「さっき声掛けられてた人誰?」
「関西から来た男の子だって」
「ええ!?日本人!?」




僕は日本人です

孤独感は加速。




と、思いきや
オカマさん達に囲まれる。
質問攻め。

そのあとビーチバレーに誘われる。

とても嬉しかった。

でも帰ります。


僕はさらに真っ黒になって工場に帰りました。



次回は
YOUNG SEIDO(6) 〜保険証が無い〜
です。ではでは★