田中成道の日記

田中成道の日々の日記です。

YOUNG SEIDO(7) 〜僕はキーボード弾けます!〜

こんにちは皆さま。
最近は日記を見に来てくださる方が増えまして
今までせいぜい1日200ビューだったのがなんと
1日800ビューを越しています。ありがとうございます!


そして次回のお話からライブハウス編になりますが
三年半の期間の内容になりますので
記憶の整理に多少時間がかかるので
一日一話のペースでは難しいかもしれませんのでご了承ください☆




僕はオハマ(仮)さんの元で働いていました。
以前、仕事を探しに町に来たときに道に迷ってしまい
ハローワークへの道を尋ねたとき、
「仕事探してるならうちに来なさい」
と言ってくれたのがオハマさんでした。




ハマタイヤは基本的には自転車屋ですが何でもします。
オハマさんは溶接や機械をいじったりする事が好きで
どんな仕事でも請けていた。
僕が入った頃は市役所の自転車置き場の設置の仕事などしていた。


僕は基本的には店番が多く、
その間は自転車や車のタイヤのパンク修理をしていました。


僕が住んでいた所は
民家の裏にあるプレハブの一部屋。
トイレは共同(トイレというよりはただの四角い穴)、シャワーは水のみ(戸はウエスタン風に股間部を隠すくらいしかない、冬場は外で水を浴びてるようなものでした)、
部屋は6畳一間、家賃は15000円だったかな?
プレハブは三部屋あって左の奥の部屋には小さな女の子とお母さんの二人暮らし、真ん中の部屋には二十代のお兄さん(カナシロ(仮)さん、真面目で大人しい方ですが僕を弟のように可愛がってくれました)、一番手前の右部屋が僕の部屋でした。

オハマさんは小柄でモジャモジャあたまのおじさんです。
僕と同じ年の高校生の娘さんがいて
何度か家で会った事があります。
仕事が終わってから軽トラックで巡回(道端に捨てられているバイクや自転車を探します。それを持って帰って直して商品にしていた)した後にオハマさん家でお風呂を借りたりご飯を頂いたりお世話になりました。




しかし、一ヶ月経っても肝心の給料がもらえません。
思い切って話を切り出してみると
一万円を渡された。


家賃に足りない…
どうしよう…


僕はパチンコで増やそうとしたが負けてさらに減って五千円に。

困った僕は
ある事を思い出した。
農業の時に出会ったミヤザト(仮)さんが言っていた
町に一軒だけあるライブハウス、
そこに僕は行きたかったのだ。


とにかくそこに行って今後の事を考えよう。
僕は早速場所調べてライブハウスに向かった。



初めてのライブハウス。
このライブハウスでは
50〜60年代のアメリカのポップスをショータイムに演奏。
衣装も店内も雰囲気が出ていて楽しい。
僕はウエイターと二人で踊った。
「ここで働きたい!」
と僕は思いました。



後日ライブハウスに電話すると面接をしてくれる事に。

僕はオハマタイヤの仕事後に面接に向かった。


その時の服装は
黒のタンクトップ(色あせて薄い灰色になっていた)に黒いイージーパンツ(両膝にパックリ穴が開いてしまっている)、底の剥がれたツッカケ(何度も接着剤でくっつけたがもうくっつかなくなってしまった)といういでたち。
よくこんな格好で面接に行ったよね。


面接では
「音楽好き?」「楽器弾ける?」
という基本的な質問から
「レコーディングとか興味は?した事ある?」
という質問まで。
僕は実家で行っていたラジカセからラジカセへオーバーダビングする作業を「レコーディング」と思っていたし、
家にあった壊れたエレクトーンをギターのコードから和音を探して音を探していた事で「僕はキーボードが弾ける」と思い込んでいたため
「僕はキーボードが弾けます!」
と言ってしまった。
実はこのライブハウス、キーボードを募集していたのです。
後日採用の電話が来た…


オハマさんにその事を伝えると
一緒に喜んでくれた。
そして仕事最後の日は休みにして二人で石垣島を一周。
海で泳いだり釣りをしたり、今の僕が思うに
オハマさんは息子さんが欲しかったのだろうな思う。
大変お世話になりました。


ライブハウスで働く事を隣人のカナシロ(仮)さんにも伝えたらお祝いでビールを買ってきてくれました。カナシロ(仮)さんの友人のイラブ(仮)さんも部屋に来て飲んで騒ぎました。



いよいよライブハウスで働き始めます。
最初はバーテンダーとして働きながら演奏する曲を覚えていきます。

ヘルプで楽器を弾いている方が一ヶ月で辞めるという事で
僕は一ヶ月でステージに上がらないといけなかった。


それではまた次回



次回は
YOUNG SEIDO(8) 〜僕は20歳です〜
です☆