田中成道の日記

田中成道の日々の日記です。

YOUNG SEIDO(8) 〜僕は二十歳なのです〜

みなさんこんばんは(ミドルセイドウ)。
最近の僕はリアルが充実しています。
昨夜は心斎橋JANUSにANATAKIKOUのツアーファイナルのワンマンライブを見に行ってきました。
シンデレラの新しいアレンジも素敵だったし、キイチゴからの曲も新曲も素敵だったのだけれど。アンコールで僕の大、大、大好きな「眠たい電車」(好き過ぎてクラブワンダーでの松浦さんのライブの時に一緒に演奏させていただいた事があります)を聞けたのがすごく嬉しかったです。

そのあとクラブワンダーで朝まで…楽しい一日だった!リフレッシュ!

今日はTateFujiの立岩氏が家に来てくれはりました。モンハンしたり焼肉行ったり(ちなみに遊びに来られたわけではありません)。
今日も素敵な一日…
あれ?日が変わるまでまだあと三十分ある。
よし!YOUNG SEIDO書きます。今回は短いです。



みなさんこんにちは(ヤングセイドウ)。
僕はライブハウスで働ける事になりました。

夕方六時にライブハウスに行き掃除、七時から営業、深夜の三時に店を閉め、朝までステージでバンド練習。
完全に夜型の生活。

なのに昼間は睡眠を邪魔する存在が多かった。

一番奥のプレハブに住む女の子が開いてる玄関(正確には窓)から入ってきて僕を起こします。昔から子供が好きだったので平気なのですが、
僕の部屋の場所は三軒のプレハブの一番手前だったので人通り(と言っても他は二世帯だけど)
が多かったり、大家さんの飼っている犬が良く吠えていたりしてほとんど睡眠不足でした。



隣のカナシロさんとは会える時間は少ないですが
部屋で会った時は一緒に飲むなど仲が良かった。

ある日、僕はカナシロさんに
若い健康な男子が良く見るようなビデオを一切見たことがない、

と話すと次の日の朝、隣の部屋に呼ばれ、
「今から仕事に行くから自由にしていいさー」
と言ってカナシロさんは仕事に行った。

テレビの前に数本のビデオ…


まさか



後ろ歩きで玄関(窓)に戻り
カーテンを閉める。


そしてテレビの前に置かれた座布団に座る。


ビデオカセットを入れてみる。




ごくり



当時
石垣島で存在していた「そういう」ビデオは
無修正の物がほとんどでした。(沖縄方言だったので沖縄で作られていた?)


また、この時見たビデオの内容も過激で(ここでは書けません)
当時の僕は面食らってしまい、すぐに自分の部屋に帰ってしまった。


寡黙で少し変わったカナシロさんでしたが
僕の事を可愛がってくれているのはよくわかっていました。
仕事が変わり、どんどん会えなくなっていったけど。



家では曲からコードを取る毎日。
まずベース音を探して、そこからメジャーかマイナーの和音をのせるだけですが
演奏する曲は50〜60年代の音源から耳コピするのでベース音の聞き取りが大変だったと思います。また、もともとレコードでCDを経てテープに吹き込む時に起きたのかは分かりませんが再生時のピッチがおかしなっていて、キー(調)が鍵盤の音階には無いキーの曲もあり(でもライブハウスではキーは決まってましたが)、耳コピは難航した。
初心者なのでピアノソロの無い、ほとんど8ビートを和音で刻む曲ばかりを練習していました。
寝不足の毎日。


ある日、
僕はYシャツにアイロンをかけていた。


そうです、ついにステージに立つ日が来ました。



ライブハウス入り口にも僕の写真が並ぶようになった。
緊張して初ステージも覚えていませんが
ヘタクソだったのは確か。



ステージに立ってすぐに新しい従業員が入る。
僕よりも二つ年上18歳のエディ(後のステージ名)。
彼は二ヵ月後に今のギタリストのブライアン(ステージ名)の
後任をまかされる事になる。
リーダー(26歳)は
僕をエディに
「二十歳の田中成道」
と紹介する。
え!?
僕が二十歳??
当時の僕は16歳でしたが夜の商売なので20歳と偽っていました。
が、同じ従業員に年をごまかさせていたのはなぜなのだろう?
とにかく
僕は二十歳として仕事をしていかなければいけなかった。
つづく。



次回はYOUNG SEIDO(9) 〜17歳〜
です。